STATEMENT

February, 2021

What I have been contemplating throughout my career as an artist is how to create works that update art history using sculpture as an art form.

Since the early days of my artistic practice, I have sought answers to the fundamental question: Why do humans engage in creative activities? I looked for these answers in prehistoric art, indigenous art, and religious art. Initially, my inspiration came from the formal beauty, locality, and mythology inherent in these art forms. However, after studying art in the United States, I began to view the art history of non-Western regions, including Japan, from a broader perspective. This shift led me to adopt a more conceptual approach inspired by anthropological theories.

During my two years in the dry climate of the American South, I found myself growing increasingly nostalgic for the humid climate in which I was raised—the rice fields, streams, and rural landscapes of my homeland. This experience allowed me to physically grasp Tetsurō Watsuji’s concept of fūdo (climate and culture). At the same time, the connections between my various interests—monotheism and polytheism, the history of idol worship and iconoclasm, the relationship between the West and the non-West, and the history of colonialism and art—began to form a coherent framework. This comprehensive perspective has since become a central theme in my work.

In 2018, I got married and gave birth, and this experience deepened my interest in the female body itself, as well as in the representation of women and motherhood in art history. Recently, this has become a significant source of inspiration. Moving forward, I want to explore what I, as a non-Western woman, can add to the layers of art history—particularly the history of sculpture, which has been shaped within a predominantly male Western society.

私がこれまでの作家活動を通して考えてきたこと、それは彫刻というアートフォームを使って、美術史を更新する作品をいかに作っていくかということだ。

作家活動を始めた初期から、”なぜ人間は創作活動を行うのが”という根源的な問いの答えを、先史芸術や民族芸術、または宗教芸術のなかに求めてきた。

初めはそれらの持つ造形的な魅力や土着性、神話への興味が創作のインスピレーションとなっていたが、アメリカで美術を学ぶことで、日本を含めた非西洋地域の美術史を俯瞰して捉えるようになり、それをきっかけに文化人類学の理論から着想を得たコンセプチュアルなアプローチへと徐々に変わっていった。

乾いた気候のアメリカ南部での2年間、自身が育った湿潤気候への郷愁(田んぼや小川、里山の風景)が日に日に強まっていく中で和辻哲郎の説く風土の概念を体感し、一神教と多神教、偶像崇拝と偶像破壊の歴史、西洋と非西洋の関係、コロニアリズムとアートの歴史など、これまで漠然と抱いていた関心事項の点が線でつながり始め、その総体は現在まで続く創作のテーマとなっている。

2018年に結婚し子供を出産した経験から、女性の身体そのものへの興味や美術史における女性や母性の表象への興味も近年の重要なインスピレーション源となった。

西洋の男性社会の中で構築されてきた美術史、特に彫刻史の地層の上に、非西洋人との女性として何を追加していけるのかこれから模索していきたい。

2021年2月

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「ハイヌウェレの彫像」

March, 2020


私はふと、彫刻には4つの解体があることに気がついた。

一つ目は偶像破壊と呼ばれる、像が表象するイデオロギーの否定を目的とした破壊。destruction。

二つ目は風化による劣化、崩壊。disintegration。

三つ目は建造、輸送を目的とした分割。division。deconstruction。

四つ目は世界各地の神話や土偶文化に見られる像の破損、欠損。fragmentation。

一、宗教的、政治的思想の衝突による偶像の破壊(撤去)。例えばイスラム過激派による文化遺産の破壊、明治時代の廃仏運動、アメリカ南北戦争を象徴する権力者像の撤去運動。近年では平和の少女像a.k.a慰安婦像にまつわる論争が記憶に新しいが、このことは偶像彫刻が人間社会において未だに強い影響力を持つことを私たちに教えてくれる。ちなみに三分割された「ハイヌウェレの彫像」は組み合わせると(古典的な彫像スタイルでもあり、少女像のポーズでもある)座像の形をとっている。

二、時に彫刻作品は、解体の過程においても美的な強度を損なわず、むしろ断片や不完全な形の状態の時、強い存在感を持つことがある。博物館で見る古代エジプト彫刻の断片や日本の破損仏の持つ不思議な魅力などがその例である。学生時多くの人体塑像を作ったが、それらを壊す時に垣間見える断片化された人体の美しさは印象的であった。

三、近年、大型の彫刻作品を発表する機会が多くあった自身は、作品を展示するたびに「制作ー分割ー輸送ー組み立て」の工程を繰り返した。はじめは必要に応じた作業に過ぎなかったが、回数を重ねるうちに、その工程のなかで生じる技術や、分割に伴う造形を面白く思うようになった。巨大な自由の女神像の表面はたった2.4ミリの銅板でできており、それらは350個のパーツに分解されフランスから輸送されたという。分割することで見える彫刻の内と外、断面と表面、塊と空洞。

四、縄文土偶はその多くが一部を破損、紛失した状態で発掘される。完成した像を壊しその破片を土に撒くことで、豊穣を祈願していたとされる説もある。興味深いのは、破壊されて見つかった像のすべてが女性を表しているという点である。この縄文土偶の特徴と、世界各地に存在する”ハイヌウェレ型”と呼ばれる食物起源神話を結びつけて読み解く学説がある。古事記におけるオオゲツヒメの話など、殺された女神の死体から作物が生まれたとするストーリーである。

彫刻はいつからか、創造することの裏側で、解体することにも意味が与えられてきたようだ。

四で記述した、”彫刻の破壊”として表象される”女神の殺害”は私にとって最も興味深いテーマである。豊穣祈願というポジティブな思考と、像の破壊というネガティブな行為が不思議なリンクによって結び付けられている。それはネイティブアメリカンのポトラッチという儀式で行われる、貴重品の破壊(犠牲)によって富を循環させるという発想にも通づるところがある。また、人間にとって生命を増やすポジティブな営みである出産が、同時に母体にダメージを与えその命を奪う場合もあることから、女性が生と死を象徴する存在として偶像化されてきたことは想像できる。殺害と再生、破壊と生産、死と生。

womb(子宮)とtomb(墓)は言語学的につながっているという。

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個展「Wisdom of the Earth」


March, 2020


展覧会のタイトル”Wisdom of the Earth”は彫刻家コンスタンティン・ブランクーシが1910年に発表した作品の名前である。


それは高さ60センチほどの石彫で、膝を曲げて座る少女がモチーフのとてもシンプルな裸婦像だ。私は写真でこの像を見て以降、ずっとこの作品のことが気になっていた。なぜ作家はこの小さな少女に「大地の知恵」という壮大なタイトルをつけたのか。


ブランクーシはこれらについて多くを語っていない(語っている文献に出会っていないだけかもしれない。)が、私には、真っ直ぐに見据えたその目で、少女が人類の現在と未来とを見つめているように思える。そしていつの日か壊され、土に還る日をじっと座って待っているようにも見える。

ブランクーシは言った。

”Look at my sculptures until you see them.

Those closest to God have seen them”

「理解できるまで彫刻をじっとみつづけなさい。

彫刻を理解したものは、神の間近にいるのです。」

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土器に関するノート

March, 2020

土器に関するノート

土器の出現はオーストラリアの考古学者ヴィア・ゴードン・チャイルドによれば「人類が物質の化学的変 化を利用した最初のできごと」であり、物理的に石材を打ちかいて つくった石器とはまた異なる人類史的意義を有している。

日本にあっては、それが煮炊きのために用いられたところから小動物の狩猟に依存していた生活や自然の恵み(植物の実・根、貝・鳥獣・魚)に依存する食料採集生活ではあまり土器が使われなかった。彼らの中で比較的定住する傾向を持つ集団が土器を使った。

世界各地(日本や東北アジア以外)では土器は当初より貯蔵用土器が古く、多くの場合、農耕(農業)のはじまりと結び付けられて理解されている。

◯ 煮沸用土器 ◯ 貯蔵用土器 ◯ 供献用土器 ◯ 土器棺

煮沸用土器があることで、生水ではなく煮沸した水を飲料に供給できたことは、中毒症の罹患や感染症の蔓延を防ぎ、人びとの定住化をおおいに促進させたものと考えられる。

縄文中期の勝坂文化圏で出土する人面付深鉢や人面付釣手型土器は、いずれも妊婦のような形をしてお り、人面把手付深鉢の中には子を出産しつつある姿が描かれているものもあるので、これらの土器は<容 器としての女性>を象徴しているといえる。

縄文中期以降には遺体を甕棺に入れて埋葬することもあったが、そのほとんどが胎児か乳児で、流産・死産の子を特別に葬ったと推測される。これにも、死んだ子を子宮=甕棺に戻して再生を願うという意味があったのかもしれない。

弥生時代、稲作の発展にともなってもたらされたのが弥生土器である。弥生土器は機能に応じて簡素に作られるのを特徴とする。貯蔵用の壺、煮沸用の甕、食べ物を盛るための高坏や鉢。人々は、これらを組み合わせて使用した。

縄文時代の遺跡からは通常の土器よりもサイズが小さく実用に適さないミニチュア土器が多数出土する。祭祀用または玩具との説がある

人面墨書土器(人面墨書土器)は奈良時代から平安時代初めにかけて見られる。最も多く出土するのは奈 良時代の都である平城京で、いずれも多くが川や溝の中から出土してる。人面は疫病神を表現したものと いわれ、病気になった人が息を吹き込み、川や溝に流したものと考えられている。人面墨書土器以外には 人形や土馬などがある。

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ブリコラージュの女神

July, 2017

大きな災害は時と場所を選ばず、それまで当たり前にあったものを喪失させ、私たちの生活を一変させます。生き延びた人たちはとりあえず手に入るもの、使えるものを利用して生活を始める他ありません。私はこのような、物質的に貧しい状況において人があり合わせの手段や道具で世界に対応するさま、つまりブリコラージュの中に人間の創作活動の原点があるのではと考えました。人類学者のクロード・レヴィ・ストロースは『野生の思考』において、世界中に存在する神話がそれぞれの時代、各部族に伝えられてきたエピソードの断片を組み合わせてつくられていることから(そのために生じるズレや揺らぎから新たな物語が生まれる)、神話も一種のブリコラージュであると説きます。そしてそのような思考方法は近代化の中で切り捨てられてきた、理性と感性を分離しない豊かな知性であると言うのです。

私はこの「手しごと」と「思考」における二つのブリコラージュに、芸術の本質を知るための重要なヒントがあると感じ、今回の展示のテーマとしました。作品に使用したブルーシートや土のう袋は、一時的に難をしのぐ為の安価な素材で、被災地などで多用されます。それらに加え家具や道具などの生活用品、また水や土など自然物をブリコラージュし彫刻作品としての新たな姿を与えることで、喪失と再生の象徴が作れるのではと考えました。

レヴィ・ストロースは人類学者・フランツ・ボアズの言葉を引用しています。

「神話的世界はつくられるやいなや破壊されねばならず。その破片から新しい世界が生まれるかのようだ」

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かたちのない「文化」と「自己」

January, 2014

(修士論文から一部抜粋。全文はこちら

文化とは定まった姿かたちのない客体であるからこそ、芸術家はそれをせめぎあうリアリティとして捉え、その意義や価値を他者と共有する為に作品として視覚化していく必要があるのだろう。そのなかでクリフォードの言う「歴史的想像力」こそ、これからの芸術表現の領域で最も重要な力であると私は考える。なぜなら芸術は想像力という力を使って、他の学問では通用しない方法で歴史を解体し、再構築し、その断片から新たな物語をつくる可能性を持つからである。

固定化された文化や歴史の概念をもとに表現を行うということは、作品もその概念の枠を超えられないことを意味する。概念の枠組を超え、新しい表現を生み出すには、まずその枠が何であるかを知る必要があるだろう。そのためには、植民者−被植民者、表象者−被表象者、主体−客体の間にある境界の存在を探求し、それを解体しようとする努力が重要となる。

他者への深い共感と想像力によって歴史を新たな視点から読み直し、芸術家が作り出す表象記号は、概念化された歴史の一部ではなく、歴史を構築する為の議論のスタート地点として存在する。つまりそれ自体が、誰にも名付けられぬ新しい文化そのものなのである。